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juri kitagawa

2022年3月中旬、庭の木に水をやった

 前回から随分とあいだが空いてしまいました。わたしの住んでいる地域も、ようやく春めいてきています。

 最近は睡眠の調子がおかしく、思ったように動けませんでしたが、今日の朝に夫が「天気がよくて外が春だから、窓を開けて行っちゃお」と寝室の窓を開けていってくれたので、心と体が春を受け入れてくれたようで、よく動けています(なんと、窓や網戸まで掃除しました)。


(この写真はおそらくまだ雪が降っていたころのもの)


 冬は、わたしをすべてのことから雪や木々で隠してくれるような気がして、休んでいても許される気がして、景色がうつくしくて、だいすきです。その冬から移り変わるのが名残惜しく、昨日までは寂しく思っていましたが、今日やっと春をいとおしく思いました(しかし春も、休憩しながら行こうよね)。


 先日、祖母が亡くなってから、祖母のことをよく思います。春のやわらかな空気の中に、ふと紛れて立っていてくれるような気さえして。春はわたしにとって、死のイメージと近い季節です(まったく恐ろしい意味ではなく)。いつかわたしも春のひかりの中を歩くように、どこかへ行く日が来るのだろうと思っています。それは幸福なことだと良いのに。死を幸福にするためには、やはり幸福に生きなくてはならない気がしますが、そのどうにもこうにも難しいことを、わたしたちは日々目指していて、だからわたしたちは可愛くて、いとおしい生き物だなあと思います。



(祖母宅の納屋から母がもらってきてくれた籠、愛らしい)


 春みたいな話ばかりして終わりそうです、ハーブティの話をしようとしていた気がするのに…。以前マシュマロ(匿名でメッセージを送ることができるサービス)で、ブログでなにを読みたいですか?のような質問をしたところ、おすすめのハーブティを知りたい、と書いてくださった方がいたので、また近々そんな話もできると良いなと思いながら、今日は終わろうと思います。


 秋に植えてもらった庭の木に、今日たっぷりと水をやりました。芯の冷たいのをぶわりとくるみ隠したようなやわらかくあたたかい風が時折吹いて、ぼうっとしていた頭の底がよろこんでいるような気がしました。


 どこの国のだれにも、うつくしい春が早く訪れますように。

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